望月翔太さん☆あったかライブ♪ in こはる庵

■お知らせ

いくつかの不思議なご縁がありまして、こはる庵でライブを開催することになりました。
ライブですよ!
もちろん、音楽ですよ!
あっ・・・ご安心ください。
自他ともに認める音痴の私が歌うのではありません。
望月翔太さん」をお招きしてのライブです。

車で日本一周しながら各地でライブ活動をされていて、Canon〜カノン〜という 女性ボーカルユニットをプロデュースされている望月さん。
今日もどこかで歌ってるはずです。
広島には1月27日~30日に滞在されるとのことで、どこか場所がないかという話が流れてきました。
正直、あんまり広くないし、ライブのできるような場所でもないので・・と思ったんですが、
「一人でも聴いてくれる人がいればその人のために全力で歌います」
という熱い言葉に感動し、こはる庵にお招きさせていただくことになりました。
歌を聴きたいのはもちろんなんですが、望月さんのお話が聴きたいんです。
私が経験できないような事を経験されて、いろんな気付きを持っている方だと思います。
そのお話を聴かせてもらえるだけで、かなりの財産になるはず。
なので、ライブ後は歓談タイムもしっかり設けさせていただいてます。
もしよかったらこの空間の雰囲気、時間を皆様と共に過ごすことが出来たらうれしいです♪

望月翔太さん☆あったかライブ♪@こはる庵
日時:  1月27日水曜 15時30分~17時くらい
場所:  整骨院こはる庵 広島市西区三篠町3-24-14
入場料: 無料 (1円からの投げ銭方式)

ささやかではありますが茶菓の用意などして、私がおもてなしさせていただきます。
お気軽にご参加ください。

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※お申し込みはこはる庵までお電話ください。
大変申し訳ないのですが会場があんまり広くないので10名程度の募集とさせていただきます。

 

↓望月さんのブログより引用
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【僕が証明したいこと】

この旅の中で僕が一番伝えたい事ってね

『ほら、見て!僕、頑張ってるでしょ?』
ってわけでも
『大勢が聞いてくれたよ??凄いでしょ?』
ってわけでもないんです。
辛かった過去を前に出してね、
『僕、頑張ってたんだよ!!』
って悲劇のヒーローに
なっているわけでもないんです。

旅の中で1番伝えていきたい事。

前に出したくない過去を
ずっと話し続けていく理由。

それを書かせて頂きますね。

これが、今現在23歳と5ヶ月の
望月 翔太の在り方です。

15歳まで、ずーっと
スポーツ一筋だったんですよ。

16歳の頃は電車にも、
やっと乗れたり乗れなかったりね。

電車のドアが閉まるだけでね、
パニックになっちゃったんだ当時は。

自分でも凄いなって思うけど、
友だちや恋人の前では
強がって堪えられていたんだ。

でも、毎日気分が悪いから
友だちの見えない所で、
トイレに駆け込んだりしてたっけ。

そうするとね、
水面に自分の顔が映るんですよ。

『どうして僕はここに居るの?』って

『こんな僕を過去の自分が見たら
一体、なんて思うんだろう?』って

『未来の自分は今の自分の生き方に
感謝をしてくれているのだろうか?』って

毎日毎日、葛藤していた。

17歳の夏に高校を中退して、
すぐにバイクで事故をした。

多分、日々ボーっとしていたんだ。

気付いたら救急車の中で、
左肩はパックリ割れていた。

電車にも更に乗れなくなっていたけど、
高卒認定(旧大検)を
死に物狂いで受けに行ったっけ。

退学してから4ヶ月後の事だ。

合格通知が来た時の
母の涙は今でも忘れない。

薬の飲み合わせを間違えて、
救急車で運ばれたりさ、
雨の中、家を裸足で飛び出して
両親を困らせたりさ、
生まれて来なきゃ良かった。
なんて、思ってもない事を言って
母を泣かせることも多かった。

廊下で2リットルのペットボトルを
頭から被ったこともある。

正直、その行動に意味なんてないんだ。

だけど、冷たいって感じる事で
その時の自分は生きてるんだって
実感を得ようとしていたのかな。

当時の両親の心配そうな顔が
今でも忘れられないな。

すごく迷惑をかけた。

そして17歳の2月にギターを買った。

一応、学校の音楽の授業は、
真面目に受けていたつもりだけど、
ド、レ、ミ、ファ、ソ、シ、ド
といった感じで
ラがある事すら曖昧なレベル。

ドラム?ベース?
それって美味しいんですか?
ってレベル。

そんな所から始まった。

両親の力も大きかったけれど、
日本の音楽には本当に
心の奥底まで支えられた。

ちなみに好きなアーティストは?
ってよく聞かれるんだけど、
結構、1曲1曲バラバラなんだ。

でも、相手は有名人でしょ。

手紙書いたって、電話したって、
こっちのお礼なんて
届きやしなかったんだよ。

だから、決めたんだ。

曲なんて作ったことがないのに、
今度は自分が曲を書く!って。

それで、人の心に寄り添えたら
音楽への恩返しになるかな?ってさ。

全力で曲書くからさ。って
日本一の作詞家になるからさ。って
世界一の作曲家になるからさ。って
僕は立ち上がったんだ。17歳の冬に。

そして、みんなが高3になった4月に
僕は東京で1人暮らしを始めた。

とにかく自分を変えたかったんだ。

1人暮らしが始まってからも、
人の目を見れないし、
オドオドしているし、
落ち着きもなかったから、
バイトも10箇所くらい落ちた。

やっと見つけた新宿のバイトで
生活を繋ぐことが出来て、
気付いたら電車にも
辛いながらに乗れるようになっていた。

頑張って勉強して曲を毎日書いたよ。

楽譜なんて分からないから、
レポート用紙にいつも書いてたっけ。

いつか誰かの心に届け!ってさ。

そしたら、段々と曲が
書けるようになったんだ。

そして、今年の3月まで通っていた
渋谷の専門学校に入学をした。

何よりも同期と同じタイミングで
また進学出来たのが幸せだった。

でも、自分は歌を唄えないからさ、
作曲とプロデュースを
4年間、猛勉強しよう!と決めたんだ。

入学してから1年半後に
ひらさや、千明と学校で出会って
その半年後にロレインと出会った。

実はその前に伊澤 悠とも出会ってた。

こんな頼りない僕をさ、
彼、彼女たちは
プロデューサーって呼んでくれたんだ。

初めて認めてくれたんだ。

それは涙が出るくらい嬉しくってね。

あの出会いがなければ、
今の自分は存在しないって
本気で思っている。

だからね、
もっともっと自分自身が強くなって、
アーティストが安心して唄える
環境や場所を整えていこう!って
心に誓ったんだ。

誰か1人の為に唄を届け続ける!
っていう僕の理念も
すぐに理解してくれた。

そうして、望月プロデュースは
ひたむきに活動をし始めたんだ。

その中で、伊澤 悠の相方となる
大二郎と出会ったり、
ソロシンガーの柚香が加わったりと
チームもドンドン活気付いていった。

だけど、その2人が加わる前から
ずっと決めていた事があって、
それは、ボーカルと
プロデューサーを一度
切り離すという手段。

つまり、Canon~カノン~の
10000いいね!企画ってわけだ。

10000いいね!企画について
http://s.ameblo.jp/canonlady4/entry-12080779446.html…

内容は知っている人も多いから、
ブログのURLを貼ったけど、
その旅が始まってから、
もう5ヶ月の月日が経った。

正直、不安だったよ。

人前に出るだけで、
フラッフラッするんだ。

緊張とは違う。変な圧迫感でね。

でもさ、色んな人との出会いだったり、
言葉だったり、支えが多くあって、
気付けば路上ライブを合わせて、
5ヶ月の中で70箇所で歌を唄った。

僕の人生ではね、
本当に考えられないことなんだよ。

こないだのライブでも、
左足はブルンブルン
制御出来ないほど震えていたし、
青森の80分のライブも
最初の30分はいつ気を失っても
おかしくないって思いながら
歌い続けていた。

ただ、全力で目の前の人に
想いを届けたい!って一心でね。

そう、だから、
話を最初の議題に戻すけど、

この旅の中で僕が一番伝えたい事ってね

『ほら、見て!僕、頑張ってるでしょ?』
ってわけでも
『大勢が聞いてくれたよ??凄いでしょ?』
ってわけでもないんです。

辛かった過去を前に出してね
『僕、頑張ってたんだよ!!』
って悲劇のヒーローに
なっているわけでもないんです。

人前でオドオドし過ぎて、
バイト10箇所落とされたり、
電車にも乗れなかったやつが
数年後には、大勢の人前で
歌を唄えるようになってんぞ!って事。

生まれて来なきゃ良かった。
なんて思ってもない事言ってたやつが
恥ずかしながら、
母ちゃん産んでくれてありがとう!
って心から言えてんぞ!って事。

音楽なんてやめた方がいい!
って仲間から必死に止められたけど、
全くの無知の17歳の冬から
音楽をやり始めて、
周りの声援や支えのおかげで
CMの曲だったり、
市に関連する曲だったり、
フットサルクラブのテーマだったり、
信用金庫の教育理念の曲だったり、
少しずつ周りに届き始めたぞ!って事。

20年、30年って話じゃない。

これは、5年、6年の話なんだ。

今、この瞬間が
心から笑えていないとしても、
真っ暗闇なトンネルの中だとしても、
貴方の未来は必ず輝いていると
僕が一生をかけて証明をしたい。

『望月さん、17歳から音楽始めたの?
僕でもまだ間に合うかな??』

勿論、間に合うさ!!
いまだに、鼻歌で曲を作るんだ。

世の中にない旋律を、
楽しみながら探せばいい??

『今、電車に乗る事が出来ない。
人前でごはんが食べられない。
将来は普通の生活が出来るかな?』

勿論、出来るさ!!
最初は1駅でも構わない。
むしろ駅に行くだけで帰ってもいい。

いや、玄関で靴を履いて、
太陽の光を浴びるだけでも
とっても気持ちがいいよ^ ^

ピーナッツ一粒でもいいじゃないか。
自分のペースで食べてごらん。

47都道府県すべてに自ら出向き、
全国で歌を届けることを
もし、達成したならば。

もし、自分の音楽が
武道館で響いたならば。

もし、自分の音楽が
ビルボードで1位になって
世界のスタンダードになったならば。

これから生まれてくる人々、
そして、今を生きている人々に、
どれだけの夢や希望を
与えることが出来るだろうか。

叶わないとしても、
届く!と信じて、誓って、
がむしゃらに走り続けた先に
どれだけの人々に勇気や感動を
与えることが出来るだろうか。

それを思い浮かべると、
僕は歩みを止める理由が
どこにも見当たらない。

だから、『今』この瞬間を
本気で生きていくんだ。

それが唯一、今の僕に出来る、
音楽への恩返しなのだから。

【最後に】

『過去の事なんて話しちゃダメだよ??』
なんて事もよく言われます。

だけど、逆に
『過去の話と今の唄を聞いて、
僕は、私は立ち直る事が出来ました??』
そんな声をたくさん聞くと、
今はこの方法で、
音楽を伝えていこうという
覚悟が固まったわけです。

先ほども書きましたが、
あくまでもこれが、
23歳と5ヶ月現在の
望月 翔太の在り方です。

25歳になったら、
過去を何も話さない望月 翔太に
なっているかもしれませんし、
そればっかりは、
自分にも予想ができません。

僕の同期は、今ほとんどが
社会人1年目で頑張っています。

そんな中で、
『あぁこういう生き方もあるんだ。』と
頭の片隅にでも置いて頂けたら幸いです。

誰か1人の為に唄を届け続ける??
という理念はずっと変わりません。

それが変わった時は、
きっと音楽を辞める時でしょう。

ただ、アプローチの仕方や、
新しいアイディア、サプライズが
上に乗っかってくるに従って、
『あいつ変わってしまったか?』と
よく思われがちですが、
チェンジの歌詞でいう、
変わり続けてはいても
『本当の自分は抱きしめたままで』
なので、安心して下さい。

これからも、皆様のご声援が必要です。

どうか、末長く
応援、宜しくお願い致します!

この想い、あなたに届け!
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コメント

  1. […] 昨日は「望月翔太さん☆あったかライブ♪ in こはる庵」無事開催できました。 ご多忙の中お集まりいただいた方々、大変ありがとうございました。 […]

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